「おジャ魔女どれみ」ってどんな作品?
〜大きなお友達向け解説〜
「おジャ魔女」の基本設定は、人間の世界とは別に魔女界という異世界があって
そこには「魔女」と称される人々がいるのだが
ある制限によってかつての人間との交流が断たれていて
極少数の魔女だけが細々と交流を維持しているというものです。
「魔法使いサリー」や「魔女っ子メグちゃん」などでおなじみの王道ですね。
「おジャ魔女」が上記の二作品と異なっているのは
主人公達が全く普通の小学生である点でしょう。
サリーやメグは当り前のように魔法を自在に行使していましたが
どれみは「魔女見習い」という半人前の立場から始める、という前提が面白いです。
ドジっ娘であるという設定のどれみは、ポロンというアイテムをもらって変身(お着替え)しても
最初は的外れなことしか出来ません。
ほうきにすらまともに乗れない有様。
ここからスタッフはおもちゃの販売を考慮した上手い仕掛けをしてきます。
「魔女見習い試験」なるモノを設定して、この試練を乗り越えることで
だんだん魔法が上手く、強力になるという段取りです。
常に何かしらのハードルを大人から与えられる子供の
共感を得られるいいアイデアですよね。
そしてもう一つ、世界観を決定付ける約束事があります。
男女問わず変身物ではポピュラーな掟
「正体を知られてはいけない」というヤツです。
ここでもスタッフは強力な縛りを考え出しました。
「正体を人間に見破られた魔女は、呪いによって魔女ガエルになってしまう」
・・・って、考えてみたら結構しゃれにならない決まりです(笑)
この約束事は、劇中で魔女見習いであることから生じる微笑ましい緊張感と
視聴者を含めた仲間意識を生み
子供の身空でMAHO堂で働く羽目になるというどれみたちの結束を上手く説明していました。
この「魔女ガエル」の設定は後になって魔女界の悲しい歴史に関わる大事件の
結果であると判明するのですが
無印時代では前述の効能と
どれみが正体を見破ったことでカエルになってしまい、おジャ魔女誕生のきっかけになる
マジョリカという魔女を元に戻す動機の一つとして機能していました。
もっとも、どれみはそのことをしょっちゅう忘れるのですが(笑)
大きな流れはどれみたちが魔女見習いとして試験をクリアして昇級する過程が描かれるわけですが
これだけではないところに「おジャ魔女」の凄さの秘密があります。
むしろ、こっちの方が作り手にとっては本題なのかもしれません。
通常、学校を舞台にするアニメやマンガで
クラスメートの名前やプロフィールが全員明らかになっている作品は滅多に無いと思います。
大抵、主人公とその周辺の何人かがピックアップされ、残りは「その他大勢」として
背景扱いされるものです。
ところが、「おジャ魔女」では企画当初からクラス全員の容姿・プロフィールが設定され
「その他大勢」扱いのキャラは存在しなかったのです。
もちろん一視聴者の自分はそんなことは知らずに観ていました。
すると、だんだんクラスメートの問題や悩みをクローズアップする回が多いことが分かってきます。
ほら吹き少女の信子ちゃん、背が高いのが悩みの奥山さん、ワケあり一匹狼の矢田君
病弱なしおりちゃんetc・・・
一人一人が悩みや苦しみ、夢や希望を小さな背中にしょって生きているという描写がなされていることに
正直、驚きました。
しかも気が利いているのは「魔法」の位置付けです。
基本的に「おジャ魔女」世界の魔法は万能型なので
「○○になーれ!」
と呪文とともに唱えればその通りになるはずなのですが
そこは見習いの半人前がすること、そうそう上手くいくはずもありません。
みんなで力を合わせて使う合体技(笑)マジカルステージも同様で
やたら遠回りで意地悪なアイテムを出されたりして、混迷の度が深まることもしばしばです。
つまりスタッフは魔法を「便利な道具」ではなく、「背中を押すきっかけ」というふうに
意識した使い方をしているのですね。
クラスメートが関わる話においても、魔法はあくまでもサポートの役目しか果たしてくれません。
最終的に解決をもたらすのは、心と心のやり取りであるように
巧妙に脚本が練られているのです。
ひどい言い方をすると、話作りにおいては魔法でチョチョッと解決してめでたしめでたしとするほうが
簡単に決まっています。
子供がよく考える「〜だったらいいのに」思考ですね。
しかし現実はそうはいきません。
結局人間同士の問題は、過程はどうあれコミュニケーションでしか解決できないのですから
安易なご都合主義を連発してしまっては子供だましといわれても仕方ないでしょう。
巷にはそういうものが少なくありません。
「おジャ魔女」は茨の道を選びました。
魔法はあくまでもきっかけとして使うという縛りのもとで
真っ向から等身大の小学生のドラマを描いたのです。
これは相当にキツイ作業であることは想像がつきます。
例えるなら、必殺の右ストレートを封印したまま戦うようなものですから。
登場人物の心情を丁寧に描写し、展開や伏線の張り方に気を配り、なおかつそれらを的確に表現する
演出・作画なくしては
絶対に不可能な難行だったと思います。
果たせるかな、「おジャ魔女」は大人が見ても胸が締め付けられるようなドラマを持った
稀有なアニメとして成功しました。
「間口が広いが、奥も深い」という
理想のエンターテイメントになったのです。
2年目、3年目と新しいテーマに挑戦しながら続く「おジャ魔女」シリーズは
今年ついに卒業という節目を迎えた最終シリーズに突入しています。
そして、日曜日の朝になるといとおしさを求めて、いい年した大の男であるはずのわたしは
TVの前に座っているわけです(笑)